| 2005/07/11(月) 22:27 | プロレス |
| 追悼 橋本真也 |

以前の日記で数度登場している
プロレスラー橋本真也が40歳の若さで急死した。
ニュース等で既にお知りの方もたくさんいるだろうが、
今日は橋本真也に追悼の意を込めて日記を書きたい。
正直昔は情報媒体がゴング・週プロ
団体は全日本・新日本くらいしか無い時は
あまり好印象の選手ではなかった。
拙者は闘魂三銃士はホワイト・バタフライ時代の
蝶野がお気に入りだったのだ。
それから橋本が気になりだしたのは
一連の小川直也との抗争を終え
新日本を追われ
ZERO-ONEを旗揚げした時くらいである。
当時新日本が陣容が手薄になった全日本と
抗争を開始しようという時に
橋本は事もあろうかNOAHと絡みたいと言い出したのである。
そして新日本に内部組織として「ZERO」を設立するも
当時の責任者 長州と永島(ともに後にWJ)によって解雇という形で
新日本内ZERO-ONEは新団体ZERO-ONEとして再発進する。
そして対NOAHという観点から小川直也と共闘し始める。
このころから拙者の購読する紙媒体は
「紙のプロレス」へと移行し
人柄まで突っ込んだ話・ウラ話等が豊富な同雑誌により
拙者の「橋本真也」という人間への興味は膨らんでいく。
ZERO-ONEになってからは新日本によって隠されていた
橋本の魅力が爆発し始める…
・数々のイナバの物置大乱闘
・NOAHとの旗揚げ戦における抗争・フォール負け
・武藤全日本との大抗争
・有力無名ガイジンの発掘・WWEへの逆輸出
・冬木(故人)WEWとの抗争・遺骨を抱いての電流爆破
・ドン荒川・藤原喜明の登用
・空手家 小笠原和彦との抗争・友情劇
・団体テーマ曲をARBに依頼
・親友 相川翔との縁で映画「ゼブラーマン」とタイアップ
数をあげるとキリがないが、
とにかく橋本真也という人間は
いろいろな情報を源に推測すると
"豪傑"
だったらしい…
経営者となってからもその豪快さゆえに
ZERO-ONEという素晴らしい団体は崩壊するのだが…
だが、橋本の残した遺産はZERO1-MAXという団体によって
守り続けられている。
新団体移行時、ZERO1-MAX代表大谷晋二郎が言った
「橋本の事は憎もうとしたが、どうしても憎めない」という言葉が
まだ心に残っている。
なんだかとりとめの無い文章になってきたので
これくらいにしておく。
ともあれ生で2度橋本のファイトを見た事ができたのは
幸せな事だった。
最後に橋本が新日本在籍時に
蝶野と組んで対猪木・坂口組と対戦するにあたって出た名言
「時は来た!」の動画をUPしとこうと思う。
2chでこの言葉をネタにして
橋本急死のニュースを小バカにしてるどうしようもないクソどもがいるが
拙者は、この言葉は岐阜出身の橋本が織田信長に憧れて
盗用した言葉なのは知っている。
敬意を込めてファイルをUPしようと思う。
時は来た!@闘強導夢
さらば、愛すべき人間 橋本真也!
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